水中写真家とは?プロとは?TERU KUDOの撮り続ける意味
誰でもプロの水中写真家ですと名乗れる時代かも知れない
撮影に追われていて、なかなかブログを書く時間がなかったのですが、少し時間が取れたので、最近感じたこと、僕自身の考え等をダラダラと書きたいと思います。
ただ、それぞれ考え方や正解は違うと思います。
ですので、『あくまで僕の主観、僕の考え』程度に読んで頂ければと思います。
だからこそTERUの考えを書いてみた
ところで本題に入る前に、たまに船で乗合での撮影をしていると、
『写真を貰えませんか?』
と他のゲストさんから言われることがあります。
申し訳ないのですが、毎度お断りさせて頂いています。
しかし、その度に僕の断り方にカドは無かったかな・・・なんて考えてしまって困るときもあります。
この点も、今回この記事を書こうと思った理由の一つです。
そもそもの原因は、『日本の写真に対しての価値の低さ』だと僕は思っています。
海外と日本での写真に対しての価値観の違いは、やはりとても大きいと感じています。
では、何故なんだろう?
僕が無名なプロ写真家に過ぎないからかも知れません。
けど、そんな僕にもスポンサーの方がついて下さっていますし、正直かなりの高額報酬を毎月頂いています。
つまり、僕の写真にも金額がついているわけです。
お世話になっているショップさん等へはスポンサーの許可の元、そしてお仕事同士ということから、ご提供させて頂くこともあります。
しかし、一般の方へ無償での提供をしてしまったら、それこそお金を出して下さっているスポンサー様へ失礼な事になります。
そもそものお話ですが、
たまたまプロの料理人が隣にいたとします。
『タダでご飯食べさせて下さい』
と言えるでしょうか?
たまたまプロの美容師さんが隣にいたとします。
『タダでカットしてみて下さいよ』
と言えるでしょうか?
僕たちのような職業写真家にとって『写真をタダで下さい』と言われる事は、これらと同じ事なんですよね。
もちろん、おっしゃる方に悪気のないことは重々わかっていますし、責めるつもりもありません。
ただ言えることは、写真に対しての人々の価値というものが日本ではとっても低いというのが、一番の理由だと僕は思っています。
そんな事もあったりで、僕は日本でも写真に対しての価値が、キチンと評価を得られるようになって欲しいと常々思っていますし、写真家を職業としている一人として、微力ながらも周知されるための活動もしていきたいと思っています。
国際写真コンテストへの参加は、僕にとって、その一つの方法なのかも知れません。
今日は、そんな事を含めながら書いていきます。
ところで少し脱線してしまいますが、お写真を撮っている方々にとっては、一人の写真家のファンなんていう方はごく少数であり、実際のところは、自分自身のお写真こそが評価されたいと思っている方が大半のはずです。
だからこそ、Instagram等のSNSにしても、写真がお金を産むわけでもなく、いいね!の数によって承認欲求が満たされることに繋がり、一つの時代を築いてきたのだと思うのです。
僕は、そんな水中写真を撮っている方々へ向けて、もっともっと純粋に、素直に承認欲求を満たせるプラットホームを提供できるよう、今新しいコンテンツの立ち上げに動いています。
そもそもプロの水中写真家って?
たまに、写真家のプロフェショナル(以下プロ)とアマチュアの違いや、プロってなんぞや?みたいな事が話題に上がったり、実際に僕自身が聞かれる事もあります。
ただ、そもそも『写真家』というのは、自身で何かを追求し、作品を求めて撮影している方々の事を指すと僕は思っていますので、それはプロであろうが、アマチュアであろうが、重要なことではないと思っています。
時に、『プロの写真家』って、自分で宣言さえしてしまえば、何の資格が無くともプロになりますよね?
なんて意見もあります。
僕は、『一部の意味ではその通りです』
と思っています。
プロ(写真家、カメラマン)の中には、メディア等へ露出の多い有名な写真家さんから、無名でも作品を追求して地道に活動をしている写真家さん(僕はこの位置)、テレビや報道専門に撮影をされているカメラマンさん等、様々なプロの活動をされている方達がいます。
※ここでは写真家とカメラマンの僕の思う詳しいお話は端折りますが、
僕自身は、クライアントさんの意見を取り入れながら撮影し、提供するお仕事は『カメラマン』
自身で思うように表現し作品として追求している者を『写真家』だと思っています。
では、僕自身の考える『プロ』というのは?
お写真に携わるお仕事で、有名無名に関わらず撮影する事や作品の販売、その他様々な方法で収益を手に入れることが出来ている人。
『写真で生計を立てながらご飯を食べている方々がプロ』
『他でお仕事をしながら写真での収入では生計を立てていない方がアマチュア』
つまり、
写真に携わるお仕事により自身のマネジメントができているかどうか?だと思っています。
僕自身幸いにも、プロの水中写真家としての活動を生業にして、現在生計を立てています。
実は以前、ある有名な映画監督であり写真家でもある方とご一緒する機会があって、この件について語り合ったことがありました。
やはりこの時も、お互い同意見で着地しました。
もっとも、世界の国際写真コンテストでも、プロ部門、一般部門等に分かれていて、プロの定義に
『写真で収入を得ている』と言う項目が記載されています。
ですが、『写真家』という立場に関しては、プロであろうが、アマチュアであろうが重要ではないというのが、僕の考えです。
プロの水中写真家って写真が上手いから?
『さすがプロは違いますね』
『プロだから写真が素晴らしい』
と言った意見を聞くことがあります。
けど僕はこの点違うと思っています。
先程申し上げた様に、プロとは写真で収入を得て生活をしている者だと思っています。
しかし、それは写真が上手いとかでは無く、生業としているかどうか?自身のマネジメントをしっかりとして利益を出しているか?だと僕は思っています。
確かに僕自身、まだまだあらゆる勉強もしていますし努力もしています。
日々、写真の事だけを考えて生活をしていますので、他に仕事をされている方よりも、そこに費やす時間はとても長いです。
ですので、結果的に多くの情報量があったり、知識だけは多いのかもしれません。
けど写真が上手いのか?才能があるのか?他人よりも秀でているのか?と言えば、少なくとも僕自身は違います。
勿論、一流と言われているプロ写真家の方々には、上手くて、才能もあり、他人より秀でていて、更に収益も多く得ている方もいらっしゃいます。
ただ僕自身は違うと思っていますし、アマチュアの方で僕よりも素晴らしい作品を撮られている写真家さんは、いくらでも居ると思っています。
そもそも写真には各々に好みもあります。
正解というものがないからこそ、表現に関しても無限にあるのだと思っています。
ですので、プロ写真家だから写真が上手い!と言うのは、僕はその限りでは無いと思っています。
プロの写真家として、国際写真コンテストには積極的にエントリーすべきだと思っている
写真業界に対して、海外と日本との違いを感じながら、悶々と考えていたある日。
友人が僕の事務所に来所した開口一番
『今年、一緒に国際コンペに参加しよう!』
とお誘いしました。
昨年から参加を始めた国際写真コンテスト。
参加してみて色々な気づきもあったと同時に、違和感を感じた事も多かったです。
一番に気づいたのは
【海外のプロ写真家達は、様々なカテゴリーで既に著名な写真家であってもエントリーしてる】
事です。
ところが、日本人のプロでのエントリーは、とっても少ないと感じました。
逆に、何故か?日本人アマチュアの方がプロとしてエントリーしているのもお見受けしました。
※写真家というカテゴリーに関してだけ言えば、プロもアマチュアも関係無く、僕はただ単純に大会規約に沿っているだけなので、わざわざ高いお金を出してまでアマチュアの方がプロへのエントリーをする意味が、僕には分かりません。
ただ、一つの承認欲求の類?なのかも知れませんが、実際のところ過去の大会を見返してみると、プロよりもアマチュア部門のお写真の方が凄い!と感じる作品も多々ありました。
それでも昨年は、高砂 淳二 先生や、峯水 亮 先生といった、重鎮の写真家の先生方が国際写真コンテスト(以下、国際コンペ)で素晴らしい結果を残されていらっしゃいます。
その他、友人でもある高橋 怜子 先生も、国際コンペでエントリーをされて結果を残されています。
僕はプロ写真家として素晴らしい事だと思うんですよね。
既に重鎮と呼ばれている先生が、国際コンペに参加する事はリスクを伴っているかもしれません。
お弟子さんや、生徒さんが同じコンテストに参加し、ご自身よりも高い評価を受ける可能性だってある訳です。
それでも奢る事なく、国際コンペへ参加されている先生方の姿勢を、僕は尊敬しています。
勿論、写真コンテスト自体に『興味がないから』という考えもあると思いますし、実際僕自身もそういう考えでした。
しかし、コンテストに興味が無い者が、審査をする側としてご依頼を受けた時、どのように応募者の作品を審査するのだろう・・・
もし仮に僕が、審査のご依頼を頂いても『興味が無いから』と、断ることが出来るだろうか?
そんな事をふと考えた時、僕は自分自身への矛盾をとっても感じました。
そんな矛盾する自分を許せなくなり、そして自身も挑戦する立場でいたいという気持ちもあり、昨年より国際コンペに参加しています。
※最も僕にはまだまだ審査員のオファーが来るほどではありません笑
参加してみると、世界の素晴らしい作品を見る機会が増えました。
僕自身の作品に対する軸は変わらないものの、様々な素晴らしい作品を見る事によって、作品を見る目が養っていくことにも繋がりました。
プロとして写真家をしていても、国際コンペへ参加する事によって、様々な素晴らしい作品を数多く見て、感じ、何より自身がその経験をする事によって、非常に勉強になると思いました。
そして、審査をされる側の気持ちになった時、結果を残されている先生方に審査して貰えるコンテストは、より価値があるものと僕には感じました。
今の日本の写真コンテストはどうでしょう。
先にも書きましたが、海外ではプロの写真家さん達も当たり前のようにコンペに参加されていますし、プロフェショナルに向けたコンペも非常に多いです。
ところが、日本でのコンテストはアマチュアの方向けが殆どで、プロになる為の登竜門的な位置付けの印象が強いです。
確かに全くないわけではありません。
しかし、僕のような水中写真家のカテゴリーとなると、日本でプロの方が参加するコンペを僕は知りません。
※勿論カテゴリーに関係の無いプロ、アマ問わずのコンペはあります。
これは、さまざまな日本人特有の考え方が、そういったコンペのない理由になっていると、僕は感じています。
しかしそれこそが『写真に対して価値を低く捉えている方が日本では多い』事へと繋がっているように思うのです。
世界では、写真の評価もキチンとされています。
価値ある作品に対しては、高額評価もされています。
それはきっと、プロの方々も立場に関係なく、写真コンテストという一つの舞台にチャレンジすることで、相乗効果も生まれ、常に新しい発見や、技術、そして表現に於いても進化していくことにも繋がり、結果としてそのレベルが高まっていく。
だからこそ、写真の価値が一般の方々へも浸透していくのだと、僕は思うのです。
そんな思いもあり、何より僕自身がプロ写真家としてはまだまだです。
あぐらをかいている様な立場でも無いので、日々努力し精進していくしかありません。
その一つの方法が、国際コンペへのチャレンジになっています。
プロの水中写真家を目指している方へ
正直な事を言えば、僕はプロだとかアマチュアだとか、写真家という分野に関しては意識していません。
そもそもが僕自身も最初は趣味でしたし、プロになるつもりもありませんでした。
ただ単純に僕が目指したのは、
『自分自身が納得のいく表現が出来る作品を生み出したい』
だけでした。
たまたま僕の場合は、お写真にお金を出して買って下さる方達が現れて、応援して下さる企業様が現れて、作品が収入へと繋がっていっただけでした。
そうして、気付けば写真家という仕事を職業にしていました。
けど、正直な気持ちは、趣味で写真は撮って、収入は他で得ている方が楽だったかもしれません。
そもそも、プロなんて宣言した途端に、常にプレッシャーを感じますし、いつ食べていけなくなるか?という不安も常について来るので、僕の子供や身内には絶対にお勧めはしない職業だと思っています。
プロの写真家として豊かな収入を得られる方は本当に一握りですし。
そして何より、『プロ』という立場に対して拘っている方は、実はアマチュアの方に多いように感じています。
それでも、どうしても職業にしたい!という志のある方は、とにかく人に影響されず、ご自身の表現したい作品の着地点を目指しながら、努力していればチャンスは来るかもしれません。
最初は、誰でも人の真似から始まると思います。
けれど、どこかで自身のオリジナルを目指し、そこからが本当のプロフェッショナルな道へと繋がっていくと思います。
そして、素晴らしい写真家が増えれば、結果的に日本の写真家レベル向上に繋がり、世界で認められる写真家達が増えると思います。
そんな風になったら、素晴らしい事だと僕は思っています。
何より、本当に好きな事をお仕事として生きる事は、お金を沢山稼ぐ事よりもずっと心を豊かに、幸せにしてくれます。
今の僕がそうであるように。
水中写真家TERU KUDOとしての想い
僕は元々創業経営者で、今では考えられないほどの収入を得ていた時期がありました。
東京ミッドタウンにあるレジデンスに長年居住し、目と鼻の先にある六本木のクラブへ毎晩のように飲み歩くという生活を、かれこれ10数年以上していました。
しかし時代と共に、何より僕に経営者としての才覚が無かったのでしょう。
業績が傾き始めてから、全てを失うまでは本当にあっという間でした。
人も、お金も全てを失い、それまでとは状況がガラッと代わり、泥水を啜る様な生活を送りながら、僕が生きながらえて来れたのは、水中写真との出会いがあったからでした。
自然の世界はただ美しいだけでなく、とっても厳しい世界も時折見せてくれます。
例えば、水温の上昇に伴い、珊瑚達が死滅していく様子も見てきました。
しかし、そんな厳しい自然環境の中でも、必死に生きようとする生き物達の生命力を感じ、見ることが出来たからこそ、僕自身も必死に頑張って来れたのだと思っています。
僕自身、水中写真を始めるまで、カメラを手に取った事もない、完全など素人でした。
そんな僕は、水中写真を撮り始めてからまだ僅か7年目です。
けど、今こうして、無名ながらもプロの水中写真家として働かせて頂いています。
誰にでも、必死に真剣に取り組んでいれば、少なくとも評価をして貰える日が来るのだと、僕は信じています。
そんな僕が気持ちの中で一番大切にしている事。
それは、海、水中で生きる生き物達、そして水中写真が僕を救ってくれた事への感謝、僕を支えて下さっている周りの方々への感謝です。
まだまだ僕には撮りたい世界がある。
撮り続けていたい。
その思いが強いからこそ、頑張っているのだと思っています。
人は生きていれば、嬉しい事、楽しい事、辛い事、苦しい事、様々な人生の流れの波を受けます。
辛い時は、癒しや温もりが欲しくなる時があります。
そんな時、僕の写真から、癒しであったり、感動であったり、生きるパワーであったり、そう言った何かを伝えていけたなら、僕にとってそれは恩返しですし、少しでも多くの方に共感を頂けたら嬉しいとの思いで、写真を撮り続けています。
そして、そんな感動を与えてくれる写真に、少しでも多くの方に価値を分かって頂けらたら、嬉しく思います。
今日も最後まで読んでくれた方。
ありがとう御座いました。